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11月6日(金)毎朝のお経と法話の会

正信偈唱和


曽我量深先生の言葉及び僧侶法話


曽我量深先生の言葉

佛とは何か、煩悩のなくなった方である。煩悩があったら佛ではない。

人間とは何ぞや。煩悩を具足しているのを人間という。煩悩がなかったら人間ではない。あらゆる煩悩をそなえている。煩悩具足を人間という。煩悩を持っておれば煩悩に苦しめられているに違いない。けれども佛はその煩悩に苦しめられている人間のために象徴となる。無碍光の光をもって人間世界の象徴となる。だからわれわれは南無阿弥陀佛を念ずることによっていつでも明るい。無明の闇が照らされるから、いつも明るい。煩悩の中にあって煩悩の相をいつもいつも自覚せしめられる。だからいつも煩悩を知っている。煩悩を持っていながら、煩悩を持っているということを知らないでいると煩悩に苦しめられる。いよいよ煩悩をもっているということがわかったら、煩悩に苦しめられるということはないわけである。だから煩悩があるとともにその煩悩があるということを自覚するのである。だからわれわれは人間として、人間というものはけっして佛になるところのたんなる足場であるというわけのものではない、と思う。佛と人間とが互いに相照らし、一方には佛は完成し、一方には人間を完成する。人間があるからこそ佛は完成し、また佛があるからこそ人間は完成するわけである。

ここに阿弥陀佛とキリスト教の神との根底において異なっている点があるわけであります。

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