正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義4月8日金曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
「本当かどうかわからないが、本当だ思い込むこと」というのが「信じる」ことだと思われがちです。また、「どうぞここに判子を押してください。収入の証明書を見せてください。はい、ではお金を貸します」と、判子や担保や保証人が必要になるのではないでしょうか。「あなたは信じています」というときには、「絶対に嘘をつくなよ」ということがある。信の裏に疑いがあるということが多いのが、現在使われている信ではないでしょうか。
(事実に頷く 23頁12行目~23頁16行目)