正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄合議4月17日日曜日
歎異抄講義(上)・本文
次は「外道」です。外道とは、我執にこだわった教えです。我執というのは、「我」のとらわれです。たとえば、集合写真というのがあります。卒業写真とか入学写真とか、あるいは観光旅行に行った先で集団で撮った写真です。それをもらったとき、私たちは、自分はどこにいるかなと、先に自分を探します。あの人どこにいるかなという先に、自分はどこにいるかなと探すのです。これは、自我意識があるということを示しているのです。その我執とは、親鸞聖人の教えでいうと、「自力」です。自力のはからいということです。わが身をたのみ、わが心をたのみ、わが力を励み、わがさまざまの善根をたのむというのが自力の心です。これは、どれほど謙虚な人でも持っている気持ちです。三歳の子どもでも持っていて、八十歳を過ぎてもなくならない。それが「俺が、俺が」という気持ちです。
(我執にとらわれる外道の教え 191頁6行目~191頁14行目)