正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義4月18日月曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
親の愛にしても、親孝行な子どもがわかるか、親不孝な子どものほうがわかるのかという問題があります。親に背いてきたけれども、親のほうは自分を捨てなかった。本当に申し訳なったと後悔する。そういうかたちの親を否定するような、冷たいわがままな心をもっているとのこと私を、絶対に捨てないで守ってくださっていたのだという気持ちから、こういう言葉が出てくるわけです。
(ものの逃ぐるを追わい取る 27頁1行目~27頁5行目)