正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義4月19日火曜日
歎異抄・第一条
本日の歎異抄・第一条 講義文
次に、「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とするべし」とあります。「えらばれず」というのは、分け隔てしないということです。「老少善悪」ですから、年齢的な分け隔てや、善人・悪人というような分け隔ては、一切されない。ただ信ずる心、「はい」弥陀の誓願に返事ができる、そういう信じる心が一番の要なのだといわれるのです。それはなぜでしょうか。「そのゆえは」といって、理由を示されます。これが、親鸞聖人の特徴です。
その故は、「罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」ということです。それは取りも直さず、この私を助けてくださろうとしていたのだと気がつくことが一番の要なのです。背くもの、なんとかして気づかせたい。自分自身を見失っているものが、自分自身に気がついて、立ち上がるようにさせたい。そのような気持ちが、「罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけん」という言葉です。
(罪悪深重煩悩熾盛の身の自覚 27頁6行目~27頁15行目)