正信偈唱和
歎異抄
歎異抄講義(上)・本文
それでは仏教はどのような道かというと、「内道」といいます。仏教以外の宗教を外道であるというのは、非常におおざっぱすぎると思います。中身のほうから考えると、我執をよりどころとする教えというのは、我執自体がわからないために、何でも人のせいにしてしまう。外側に理屈をつけて、あの人がこうだからこうなった、だから私は悪くないと考えてしまう。すべてを、人のせいに、社会のせい、時代のせいというように、外に向けてものを見る考え方というのが外道だということです。それに対して、内道は何かというと、これは自分自身に理由を求めていって、自分自身の在り方というのを教えていただく。そういう考えというか、心の動きのことを内道というのです。
(我執にとらわれる外道の教え 192頁5行目~192頁11行目)