正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第一条
本日の歎異抄・第一条 講義文
一般的に、自分の都合が悪いことは避けて、都合のいいことに来てほしいと祈るのが信心だと捉えがちですが、それは実は、わがままな心の現れでしかありません。「鬼は外、福は内」というよりも先に、自分自身の心がどうなっているのでしょう。自分の心に棲んでいて、それで「鬼は外、福は内」といっているのではありませんか。ちょっとおかしいことですね。自分だけ都合がいいように、できるだけ祟りがないようにと、そういう信心なら、今度は「祟りがあるぞ」と脅かされると、びくびくしてしまって、それこそ正しく定まることがない。信心という名前で、ますます迷いが深まる。そのようなものとまったく違う真の信心のあり方が、ここに示されているわけです。
(現在に救われる 31頁11行目~31頁17行目)