正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義5月3日火曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
この第一条は、『歎異抄』全体を総括する重要な意義を持っていると思います。言葉を拾ってみると、「弥陀」・「誓願不思議」・「往生」・「信心」・「念仏」・「摂取不捨の利益」・「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」・「弥陀の本願」・「信心を要とす」など、浄土真宗のキーワードが網羅されています。その内容は、第一段は、念仏の道とはどのようなものか。第二段は、ただ信心だけが要であること。第三段は、悪人こそが正しく救われるべきものであること。第四段が、念仏・信心・本願による現在のこの人生における救いの頷きが述べられています。まさしく『歎異抄』総論であり、『歎異抄』はここから出て、ここに摂まるのです。
(現在に救われる 31頁17行目~32頁4行目)