仏教人生大学
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
銀座キャンパス
資料請求・お問い合わせ
基本講座
仏教入門講座
聖典講座
教養講座
出張講座
外に出て学ぼう

Home トップページ  >  今日の法話  >  7月4日(月)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)※音声の不備により文章での法話更新とさせて頂きます。ご了承の程宜しくお願い致します。

7月4日(月)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)※音声の不備により文章での法話更新とさせて頂きます。ご了承の程宜しくお願い致します。

歎異抄・第二条

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々

本日の歎異抄・第二条 講義文

曾我量深先生が、「劣等感も自慢も同じです。どういう心かというと、人と比較する心です。威張ることを増長慢といいます。それで自己嫌悪のことを卑下慢といいます。増上慢も卑下慢も、慢という点で同じである」と、いっておられます。ですから、自己嫌悪の強い人は、威張る事ことも強いということです。人のことだけではないのです。ぺこぺこする人は、威張るのも強いのです。自分がそうなのに、自分では気づかない、人のことを見ると、そうだなとわかります。率直な自分自身というのを失ってしまっているのです。その結果、自分の劣った部分を隠して、なんとか切り抜けて生きていこうとするので、自分を守るために理屈をいうし、弁護します。ばれるのではないかと、ますます不安になるわけです。親鸞聖人は、そうではなくて、自分自身のことを「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と、明らかにされたのでしょう。

(とても地獄は一定すみかぞかし 55頁16行目~56頁5行目)

本日の歎異抄・第二条 講義文を受けての法話 銀田 琢也 (江戸川本坊・僧侶)

劣等感も自慢も本質的に実は同じ。

そのような意味で私達は表面的なこと(肩書き、名誉、業績等)の優劣に囚われて欲や怒りや妬み等をもって自分の心を焼いてしまいます。

ですので肩書きがあろうとなかろうと、名誉があろうとなかろうと、業績があろうとなかろうと本質的に慢の心に自ら縛られているのです。

又自ら慢の心に、自らが迷い、そして自らが疲れ果てているのです。

たとえ他人に親切なことをしたとしても、相手からお礼を言われないと、「何でお礼をいってくれないの」とも思ってしまい、そして自らの心を焼いてしまうのです。慢の心から解放されないのです。

この慢の心は自分の善行為でさえもふり払えないのです。

自分という事を生きている迷いは果てしなく、自分をどう受け入れていけば良いのだろう。絶えず私達はさいなまれているのです。しかし人間はどうしてもそのようなことに地点に迷いを繰り返してしまうことを見通したうえで仏は願いをかけていたのです。

地獄は一定すみかぞかし。これは親鸞聖人が説いた言葉以上に、仏から悲しみの眼差しで見つめられて願いがかけられていたことを感じたうえでの言葉なのです。

自分を生きている迷い・苦悩と、仏の眼差しが一致したことから、地獄は一定すみかぞかし。とその迷いや苦悩の深いなかにあって、念仏申さねばならない身を抱えたいたことに気づいたのです。

だから自らの迷いや苦悩の記憶が深ければ深いほど、その迷いや苦悩はすでに仏が見通してるかのように歎いていた。その仏の記憶もはかり知れないほどに深いのです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

仏教人生大学
資料請求・お問い合わせ
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
Copyright © 仏教人生大学 All Rights Reserved.

ページトップへ