正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第八条
一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々
本日の歎異抄・第八条 講義文
呼吸のことを考えてみましょう。生まれたときに肺が開いて息を吸う。そこから、吐いて吸って、吐いて吸ってを繰り返す。最後は、その息が止まれば、それが終わりということになる。この呼吸というのは、誰が教えたのか。私がはからってするのは、私が息をしているということに気がつこうと気がつくまいと、息をしているというのが本当の息です。誰の教わったわけでもない。それは自分で早くしたり遅くしたりはできるけれども、息を吸う、この吸った息が血液により体中に回って、酸素が入り、二酸化炭素を出す。こういうしくみは誰が作ったのか。誰もつくったわけではない。誰がはからって、機械のようにして作ったかというと、そうではない。
(わがはからいにてつくる行ずるにあらぜれば 216頁16行目~217頁6行目)