正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第八条
一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々
本日の歎異抄・第八条 講義文
それから「多念にあらず、一念にあらず」。これも、多く称えればいいとか、一回でいいとか、そういう回数の問題ではないのです。
以上、自力のはからいではないのだということが説かれました。
では何なのかというと、「ただこれ不可思議・不可説・不可称の信楽なり」と。思議を否定するのが不可思議です。思いはからいということではないのです。それから不可説。これこれこういうわけだからといって、説明して済むような話ではないのです。それから不可称。ここがいいからといって誉め称えるという部分的な話ではないのです。「ただ、これ不可思議・不可説・不可称の信楽なり」と示されています。
(大信海の釈 220頁10行目~220頁16行目)