歎異抄
歎異抄・第七条
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
本日の歎異抄・第七条 講義文
つまり、現実の出来事をどのように受け止めるかということです。それによって、良いとも悪いともなるわけです。マルバツ式で、バツは止めて、マルだけにしようと思っても、決してそうはならない場合があるということです。そうならないような人生です。しかし、私たちは、たいていバツを嫌って、マルを好むのです。そこでますます迷いが深まって、お互いに傷つけあうことになるということです。この分別ということが、実は良くないのです。分別はダメだといっても、私たちは止められないのです。止めろといわれてもどうしても、分別はするのです。しかし、分別がすべてではないのだということに気がつくように、分別はいけませんよという教えがあるわけです。相対的な考え方ではいけませんといって、すなわち無分別ですよといって、分別がすべてではないのだということに気づかせようとしているわけです。それが、不二という教えでもあります。
(無碍の一道なり 179頁3行目~179頁10行目)