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12月3日(日)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第九条

一 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々

本日の歎異抄・第九条 講義文
この質問をしたとき、唯円は、親鸞聖人という人がお念仏の教えを勧めた人だということは、十分にわかっていたはずです。それは「ただ念仏」ということ。
『歎異抄』第二条には、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」(真宗聖典六二七頁)と説かれています。「よきひと」とは、法然上人です。その後に、
念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。(真宗聖典六二七頁)
とあります。こういうことを親鸞聖人は、関東の人びとにも話しておられた。念仏して地獄に堕ちたとしても、私は後悔しません。念仏したせいで殺されても、後悔はしません。念仏してどんなひどい目に遭っても、後悔しません。こういうことを説かれたとき、法然上人の念仏の弾圧の中で、首を切られた人びとのことを思い出しておられたのだろうと思います。流罪になった法然上人のことも思い出しておられたと思います。流罪になっても、お念仏を称え続けられた法然上人の姿を、親鸞聖人は記憶しておられて、関東の人びとに対しても、繰り返し話しておられたに違いないのです。

(念仏もうしそうらえども 233頁10行目~234頁5行目)

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