歎異抄
歎異抄・第七条
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
本日の歎異抄・第七条 講義文
仏教の中で、悪魔が出てくるいちばん有名な場面は、釈尊がさとられる直前です。釈尊は、二十九歳で城を出て、修行者になられました。この世の地位や名誉や若さの中には本当の幸せはないということに気がついて、真実の幸せを求めて修行に励まれた。そして、厳しい修行を六年間続けられましたが、さとりを得ることができなかった。すっかり疲れ果てて、六年間積もり積もった修行の垢を、川に入って洗われて、それで川岸にあがられた。そのときも、疲れ果てて、なかなかあがることができなかったというほどに疲れておられた。このときに通りかかった牛飼いの娘、スジャータという人が、牛乳のおかゆを作って、釈尊に差し上げたというのです。
釈尊は、スジャータからの牛乳のおかゆを食べられて、体力が回復してから、木の下へ行って坐禅を組まれるわけです。その木というのが、さとりの木になったので、菩提樹というのです。その木の根元に座って、静かに瞑想に入っていかれたのです。そのときにやって来たのが、悪魔だというのです。
(降魔 188頁4行目~188頁12行目)