【本文】 『歎異抄』- 第七条 -
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
【解説】 法蔵館『歎異抄講義』上巻・三明智彰著
『浄土論註』には、続いて、
かくのごとき等の不二の法門は無碍の相なり。
(「行巻」真宗聖典一九四頁)
と説かれます。無碍ということは、二つが無いということ、つまり不二ということです。入不二の法門とは、二つでないという道理に入るということです。
入不二法門とは、相対的ではない、マルバツ式でないということです。マルバツ式で物事を分け隔てることを、分別といいます。マルバツ式でないということを、どのように考えたらよいのかといいますと、たとえば、良い悪いの話ではないのだということです。良いと悪いで判断することは、マルバツ式で判断することです。それは分別です。良いことが悪くなり、悪いことが良くなることもあるということです。分別ではないというのが、無碍の相なのだということです。
(無碍の一道なり 176頁17行目~177頁8行目)