【本文】 『歎異抄』 -第七条-
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
【解説】 法蔵館『歎異抄講義』上巻・三明智彰著
中国の故事に「人間万事寒翁が馬」という話があります。昔、国境の砦の近くに住むおじいさんがいて、そのおじいさんのところには馬がいたそうです。その馬が逃げてしまった。しばらく経ったある日に、その馬が、ほかの馬を連れて戻ってきた。そして二頭の間に子馬が生まれた。そのうちに一頭また一頭と子馬が生まれて、たちまち馬の数が増えたのだそうです。その馬に、可愛い息子が乗って出かけたら、馬が暴れて、息子が馬から落ちてしまった。そのときに息子は足を折ってしまって、満足に歩くことが出来なくなってしまった。それからどれくらいか経って、戦争が起こったのだそうです。戦争になると、働き盛りの若者がかりだされるわけです。それで、村の若い男子が片っ端から徴兵されていった。しかし、息子は怪我の後遺症から片方の足が動かなくなってしまっていたので、兵隊として役に立たないということで、最後まで戦争にかりだされることなく、生き延びることが出たというわけです。
このようなお話から、「人間万事寒翁が馬」という言葉が出てきたわけです。馬が逃げてしまった。その馬が数頭で戻って来た。息子がその馬から落ちて足を骨折してしまった。見かけは悪いことのように思えたけれども、しかしそのおかげで息子は戦争に徴兵されずに生き延びることが出来、馬の数も増えて子孫繁栄することができたということです。目先の良い悪いではなくて、悪いことが良いことになる場合もあるという例です。このように、人生にはこのようなことがあるというのは確かだと思います。
(人間万事寒翁が馬 177頁15行目~178頁12行目)