正信偈唱和
曽我量深先生の言葉拝読及び僧侶法話
曽我量深先生の言葉
こういうわれわれは何かにつけて自由がない。精神になんらの自由がない、不自由なるところのわれわれである。本来心というものは絶対自由なるものである。純粋なる心は絶対自由であるべきである。
その心が今日こうように不自由なものになって現れて来る。これが即ち衆生というものの有様である。こうして何をしようとしとも何一つとして自分の心の思うようにならぬのがわれわれ衆生の有様であります。思うようにならぬからして思うようにしたいと願う。思うようにしたいと願えばいよいよ思うようにならぬのである。思うようになれば思うようにしたいと思う必要がない。思うようにしたいもう必要がないならば総べて思うようになっているに違いない。何事をしても思うように行かぬ、不自由である、どうか思うようにしたいとあせっている。ところがあせればあせる程一層思うようにいかぬ。
これが即ち今日のわれわれ人間衆生の運命であります。それが今日われわれ現実の衆生の相である。ところが思うように行かぬから思うようにしたいと願う。これが即ち苦しみの本で社会というものも亦その通りであると思うのであります。是が純粋なる精神が不純粋に現われて居る。本当に自分自らに目覚めないからしてこういうような相になっていると思うのであります。けれども一体この思うように行かぬとということをわれわれは本当に考えて見るがよいと思うのであります。
(『曽我量深選集』五巻「本願の佛地」二五〇-二五一頁)