正信偈唱和
曽我先生実語抄拝読及び僧侶法話
曽我先生実語抄・本文
それでまず、私ども生きているうちの「往生浄土」と申しまするのはすなわち心の世界である。純粋の心の世界である、純粋の心の世界というものは私どもの力では得られないものでありましょう。これは佛智の不思議によって、私どもに信心というものが与えられないその信心によって、浄土が開けてくる。与えられるということはすなわち浄土が開けてくるということでございます。開けてくるのは与えられたのである。開けてくる以外に与えられるということはないのであります。だから浄土は純粋の心の世界である。純粋な精神世界である。だから、浄土は精神王国であると、阿弥陀如来はその精神王国の法にて在しますと、こういうように領解して差支えないのでかろうかとこう私は思う。それをば『正信偈』には「韋提と等しく三忍を獲、即ち法性の常楽を証せしむ」と、こういうように書いてあります。
(『中道』六五号・一五頁)