正信偈唱和
曽我先生実語抄拝読及び僧侶法話
曽我量深先生の言葉本文
生きているうちに往生すると―どういうことでしょうと。往生するといったら、浄土へ生まれるんだから―いま生きているんだから―こういいますけれども、これはですね。だいたいまあわれわれの体は、親から生んでもらうたと。それは、体は親から生んでもろうた。体は親から生んでもろうたんであるけrどもですね、自分のこの根性といいますか、根性はこれやっぱり、根性まで親から生んでもろうたというわけではない。根性というのは、自分の精神―自分の精神はこれはやはり、これは生きているうちにちゃんと人間が出来上がる。
この頃はよく、人間をつくらんkりゃならん。人間づくりをしなけりゃならん―、こういうようなことをいうけれども、人間というのは、自分が自分をつくるということが第一の決まりでしょう。人からつくってもろうたなら、機械でしょう。人間の尊厳なるということは、自分が自分をつくるということであろう。法律の力や教育の力でもって人間をつくると―人間が自分を本当につくるのは、自分自身でなければならん。だからいくら教育教育というですね、こう喧しくいうたって人間なんてつくられるものでない。やっぱり人間はどこまでも自分が自分をつくらなけりゃならん。こういうのですね。
(『中道』昭和四二年 十二月号)