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12月11日(金)毎朝のお経と法話の会

正信偈唱和


曽我先生実語抄拝読及び僧侶法話


曽我量深先生の言葉本文

○ 往生が決定したということが、われわれの日暮しが、生活が娑婆を超えて浄土を生きている。

○ 南無阿弥陀佛というと、身体がここにあっても心は身体に縛られない。広い阿弥陀如来の本願の世界、その浄土に心が息をするようになった。心あ落ち着いて、どんなことがあっても、どの様な逆境があっても、心が落着き得るようになった。それは、心が生死を超えた世界に生きておる。そういう心の生活を無生法忍という。

○ さとりは信心の中にある。生きている中に、身体は迷いの世界にいるが、心は生の無い法忍も死もないさとり(浄土のさとり)を、それを、われわれは信心決定によって、そういう広い世界に呼吸することの出来るようなさとり、智慧を与えて頂くことが出来た。そういうのが信心決定の御利益というものである。

身体が煩悩具足の身体であるから凡夫であるに違いない。そういう凡夫でも無生法忍という信心の智慧に眼を開くことが出来る。それが佛法聴聞の徳である。それがなくては現生不退といっても―。無生法忍を開くことが現生不退というものである。

(『親鸞の大地』一一九頁)

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