正信偈唱和
曽我量深先生の言葉拝読及び僧侶法話
曽我量深先生の言葉本文
これは、往相還相ということがありますが、往相廻向・還相廻向ということを御開山聖人が教えて下されてあるのであります。私どもがお念佛というものによって、南無阿弥陀佛というものによって、浄土と娑婆世界と交通するのであります。われわれは、浄土というのは死ぬときにパッと行くものだろうと、佛様の浄土と人間世界とが交通するというようなことはあるまいと、人間同士の間でさえ交通するというようなことはあるまいと、人間同士の間でさえ交通しないのであるから、まして佛様とこの人間など交通出来るものかと、そういうようにあなた方は思われるかも知らんが、人間同士が本当に交通するためには、先ず佛様と交通しなければならぬ。
われわれはどうであるか。地獄と交通したり、餓鬼と交通したりしている。佛様と交通していない。佛様と絶交している。そして地獄と仲良しになっている。この世界は五濁悪世である。五濁悪世というのは地獄と仲良しになっている世界をいう。劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁、あれは地獄と仲良しになっているのである。
地獄は人の喜ぶようにして苦しめる。地獄にもいろいろあって、人間を嬉しがらせたりして堕落させる。だから人間は地獄が好きである。堕落するのが好きである。佛様は窮屈で煙草一プク吸うわけにもゆかぬ、全く窮屈でとても佛様などと交わり出来るものでないと思うている。それで浄土と絶交して三悪道と交通し、この世界は五濁悪世になっている。下巻の三毒段五悪段を見るというと、そういうことが詳しく教えられている。
私どもは南無阿弥陀佛と、阿弥陀如来の本願というものがある。その本願というものを信じさせて頂く。どうしたら信ずる事が出来るか。私どもは人間に生まれぬ先から、兆戴永劫の昔から御縁を結んで頂いている。だからわれわれは念佛というものが解る。われわれの心にはたらいているから、善知識の教えを聞くと、なるほどという。それを如是我聞という。それを信心という。
(『真人』第八三号 「法然と親鸞」)