正信偈唱和
曽我量深先生の言葉抄拝読及び僧侶法話
曽我量深先生の言葉本文
本当に自分自身の分限分際を知らしめて下さるということは、如来を信ずることによって、出来るのでありまするからして、如来はつまり、自分の智慧の極りである。自分の智慧の極りとして、自分は如来を信ぜざるを得ないのである。自分自身の自覚から申しまするならば、如来はわれらの智慧の極りである。これをもう一ついえば、われらの智慧を超えて、はじめて如来に接したてまつるということが出来るのである。これは非常に大切なことでなかろうかと、こう思うのであります。
(『大法輪』昭和三九年 五月号)