正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月18日金曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
では、その本願は、どのように説かれているのでしょうか。
法蔵菩薩が、本願をたてた主人公です。本願の「本」とは、「もと」ということです。阿弥陀仏になるもとの願いということです。それからもう一つ、「本」とは、「本当の」という意味があります。真実の願いという意味で本願といわれるのです。
法蔵菩薩は、一切の生きものがすべて平等に救われるようにしたいという願いをたてた。この本願は誓願ともいわれます。自身の存在全体をかけて、一切の生きとし生けるものが救われなければ、私は仏にはならないと誓う願い、それが法蔵菩薩の誓願です。
(念仏往生の誓願 17頁1行目~17頁6行目)