正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月29日火曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
では、その本願は、どのように説かれているのでしょうか。
こういうことこそが不思議なのではないでしょうか。呼吸をしているということ、朝起きてご飯をいただいているということ、おなかが空くということ、暑ければ汗が出るということ。こういうことが、実は不思議なのです。
幽霊がいるかどうかとか、空飛ぶ円盤があるかどうかを「不思議だ、不思議だ」といっているのは、考えられた不思議で、本当の不思議ではありません。考えるよりも先にある不思議ということです。この身がここにいるということが自体が、不思議なのではありません。考えるよりも先に不思議だということです。この身がここにいるということ自体が、不思議なのではありませんか。どうしてこのお父さんとこのお母さんのあいだに私は生まれたのだろうか。本当は、このことが不思議なのです。どうして眉毛は横に、目も横で、鼻が縦になっているのでしょう。そのほうが不思議なのです。
(不思議 19頁12行目~20頁2行目)