正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義4月4日月曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
現在では、往生という言葉は、困った状況のことといわれがちです。「電車が立ち往生した」とか、「もう往生したわ」などというときに、「往生」という言葉を使っています。これは、往生を、ただ死ぬことと捉えられてきたからだと思います。
そうではなくて、「往生」とは、現在ただ今、喜びをもってお浄土ぬ向かって生きていくのだという自覚を示した言葉です。ですから「往」は、ぐんぐん進んでいくことを示す「往」です。「生」も生まれる、新たに誕生していくということです。ですから、こういう言葉が示していることは、不安ではなくて、喜びです。停滞ではなくて、進んでいく、拓けていくという、明るい言葉なのです。
(人生の完成 22頁2行目~22頁8行目)