正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義4月11日月曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
事実について、「はい」と頷くのが、信です。したがって、「念仏もうさんとおもいたつこころ」が起こってくる。自分で「よしっ!」と、気合いを入れて起こすのではなくて、念仏もうさんと思い立つ心が起こってくるというところに、はや弥陀の誓願不思議のはたらきがあるのです。今、弥陀の誓願不思議に出遇っているのです。その証が、念仏もうさんと思い立つ心が起こってくることなのです。「いつ助かるのですか」というと、念仏もうさんと思い立つ心が起こってくるとき、このときにもう助かっているこというのが、「すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」ということです。
(事実に頷く 24頁1行目~24頁6行目)