正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義4月20日水曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
「罪悪深重」とは、罪や悪が深く重い。一番深く重い罪は、仏の慈悲と智慧を疑う心です。仏の慈悲を疑うというのは、「やっぱりいい子のほうから助けるだろう」と思う心が疑うということなのです。それが「罪悪深重」です。「煩悩熾盛」というのは、「煩悩」は煩い悩み。「熾盛」は、「熾」の字は、炭火が熾るという字です。ですから、煙が出るよりも、もっともっと熱く燃えている状態です。「罪悪深重煩悩熾盛」、煩悩が燃え盛っている衆生を助けよう。それが弥陀の誓願です。そのような阿弥陀仏の誓願によってしか助からなかった親鸞聖人自身が、ここにおられるのです。
(罪悪深重煩悩熾盛の身の自覚 27頁16行目~28頁5行目)