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4月22日(金)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

正信偈唱和


歎異抄


歎異抄・第一条

一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々

本日の歎異抄・第一条 講義文

これと照らし合わせて、第一条の「罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」ということも、これは親鸞聖人ご自身が、罪悪深重の衆生の一人としていっておられるのだということなのです。ですから、「弥陀の本願は誰のためですか」といったときに、先に「皆さんのためでした」というのではなくて、「私一人のためだったのです」といえる人にして、初めて「皆さんのためです」ということもいえるでしょう。自分で、たとえばケーキを食べる。「ああおいしい、ああおいしい」と食べた人が、「さあどうぞ、おいしいですよ」といえるのであって、自分で食べもしないで、「おいしそうですから、どうぞどうぞ」といっても、誰も食べまでせん。「ああ、おいしいな、お母さん、僕のためにどうも有難う。おいしい、おいしい」といって食べるのを見ると、ほかの子どもたちも、「それなら私も食べたい」ということになるのです。ここも「親鸞一人がためなりけり」が要です。「そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」と、その衆生とは私自身なのです。こういう気持ちが「弥陀の誓願不思議」との出遇いです

(罪悪深重煩悩熾盛の身の自覚 29頁2行目~29頁11行目)

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