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4月28日(木)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

正信偈唱和


28日さま親鸞聖人ご命日法要 法話 黒澤浄光 僧侶


娑婆の縁つきて、ちからなくして 終わるときに、かの土へはまいるべきなり 親鸞聖人

親鸞聖人は死することを、「娑婆の縁」がつきることだといわれております。
「娑婆」とは、「サハー」というサンスクリット語の発音に漢字の音をあてた音写語で、「苦しみを耐え忍ぶ場所」という意味です。「かの土」とは、私たちが帰すべき故郷である「浄土」をあらわします。死することは、「娑婆の縁」がつきることであり、「かの土」へまいることであるということをおしめしになられ、この世界のすべてのはからいは、縁によるということを教えられております。

生きているということは、この世に生きられるだけの縁がはたらいて、生かされているということでありましょう。その縁つきて、かの土に縁ができたなら、なごりおしくとも、死なせていただくことなのです。縁のままに生かされ、縁のままに死していくだけのことです。

すべては縁しだいであるということは、私たち人間の思い、はからいは無効であり、すべて仏さまにおまかせするしかないという事実の中で生かされている身であるということです。自分がどう思うとも事実をごまかして生きることはできません。縁によって事実をそのままに受けとめて、今を生きていくことが弥陀の本願にかなったあり方ではないでしょうか。

親鸞聖人は、「宿業」ということをいわれています。「宿業」とは、自分に与えられた「縁」をありがたくいただいていくこと、と理解していいと思います。まさに、聖人は宿業のままに、縁によって生まれ、縁によって死する身という死生観を自覚された人です。それは、まったく我を張る必要もなく、私が私のままに、「娑婆の縁つきて」、浄土に生まれることが、本当の自然の道理なのです。

そういう人間の「相(すがた)」に、仏さまの尊い教えが働きかけてくださっているのだと思います。聞法をとおして、ともに真実の教えに学んでまいりたいと思います。

船橋昭和浄苑支坊 黒澤浄光

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