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Home トップページ  >  今日の法話  >  5月6日(金)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

5月6日(金)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

正信偈唱和


歎異抄


歎異抄・第二条

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々

本日の歎異抄・第二条 講義文

「身命をかえりみずして」というのは、身の危険、命の危険をも顧みないでということです。江戸時代になりますと、東海道五十三次がだいぶ整備されますけれども、鎌倉時代は、道の整備が、まだまだできていない時代です。もちろん道はあったでしょうが、宿場が整っているわけではありません。そうしますと、道筋でいろいろな危害に遭うことことまります。箱根の山賊も追いはぎもいたでしょうし、野犬も狼もいたでしょう。そしてまた、普通は一か月もかかるこの長い道筋でしょうから、病気になるというような場合もあるでしょう。そういう危険を顧みないで、親鸞聖人のもとへ訪ねて来た人たちがいたということです。

(十余か国のさかいをこえて 35頁3行目~35頁8行目)

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