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5月11日(水)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

正信偈唱和

歎異抄


歎異抄・第二条

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々

本日の歎異抄・第二条 講義文

「往生極楽」とありますが、今日、往生という言葉を聞くと、縁起でもない、嫌な言葉だというふうに思われがちです。「電車が立ち往生した」とか、「ひどい渋滞で往生した」とか、「今年の夏は暑くて暑くて、往生したわ」とかいいます。このときの往生という言葉は、「困った」とか「大変な目に遭った」という意味です。それから、「ああ、あの人もとうとう往生したか」と、人が亡くなったときに、往生という言葉を使います。

この往生という言葉は「往(ユク)」という字に「生(ウマレル)」という字を書きます。どこに往くのか、どこに生まれるのかというと、極楽に生まれるということです。では極楽というのは何かというと、楽の極まり、最高の楽しみというのが極楽です。『阿弥陀経』には、極楽浄土の様子が詳しく説かれます。そこには、

従是西方、過十万億仏土、有世界、名和極楽
これより西方に、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と日う

と、これより西方、十万億土の彼方に極楽浄土という国があると説かれています。その極楽というのは、この世の楽しみとは比べものにならない真の楽しみ、真の幸せの世界、それが極楽であると示されています。

(往生極楽の道をといきかんがため 36頁2行目~36頁13行目)

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