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5月17日(火)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

正信偈唱和


歎異抄


歎異抄・第二条

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々

本日の歎異抄・第二条 講義文

たとえば、ここから名古屋へ行くというとき、名古屋へ行くというのは、どこからが始まりかというと、この地点なのです。「今日これから名古屋へ行ってくる」と、荷物をまとめて準備して、「行ってきます」といって出かけるところから、始まっているのではないですか。何の話かというと、往生というのは極楽に向かって往く、生きるということで、これはもう出発点から往生がはじまっているということです。往生とは、死んだり、困ったりという意味ばかりでなくて、「真の生き方」を意味する言葉なのです。

往生極楽の道とは、「真の救い」のことを意味します。往生極楽をしてしまったということは、つまりは仏さまになるということです。仏さまになるということは、これは真のさとりをいただくということです。これは往生極楽の結果です。その往生極楽の道を問いきかんがために、命がけで訪ねて来た人がいるということです。

(往生極楽の道をといきかんがため 38頁13行目~39頁2行目)

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