仏教人生大学
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
銀座キャンパス
資料請求・お問い合わせ
基本講座
仏教入門講座
聖典講座
教養講座
出張講座
外に出て学ぼう

Home トップページ  >  今日の法話  >  5月26日(木)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

5月26日(木)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

正信偈唱和


歎異抄


歎異抄・第二条

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々

本日の歎異抄・第二条 講義文

「南都北嶺」の南都とは、奈良のことです。奈良には、東大寺・薬師寺・興福寺という、昔からのお寺があります。仏教の学問・修道学問が、いくつもあります。また北嶺は、比叡山です。これは、京都から見てきたの山なので、比叡山のことを北嶺といいます。たいそう立派で厳かな人が、「ゆゆしき学生たち」です。「学生」とは、学者のことです。その学者であることを威張るような人もいます。「そんな簡単に私が知っていることは教えない。あなたはどこから来たのですか。いくら教えてほしいといっても、ちゃんと手続きを踏んでくれなければ、私は教えませんよ」と、そういう態度がずいぶんあったのです。「ゆゆしき学生たち」とは、ご立派な、大変厳かな学者・先生たちです。そういう人たちが多くおられるのだから、この「座」という字は、「おわす」と読むと尊敬語です。「おおく座せられてそうろうなれば」と、大変立派な学者たちが多くいるのですから。私のところに訪ねて来るまでないことです。これは二通りの解釈ができるようです。

一つには、奈良や比叡山のゆゆしき学生たちも、「往生の要は何ですか」と訊かれたら、「お念仏だけです」と、お答えになるのでしょうから、どうぞ奈良や比叡山に行ってお聞きになったらいいでしょうと、親鸞聖人はそういうお気持ちだったんではないかという考えです。

それから、もう一つの考え方があります。お念仏に内緒ごとではないということを、私はずっといってきたし、お念仏以外に往生浄土の道はありませんということをいってきたではないですか。それを、お念仏以外に往生の道があるのではないかとか、内緒にしていることがあるのではないかとか、そのような疑いを持つなら奈良や比叡山で聞けばいいでしょう。

どうぞ立派な学者たちにお聞きになってくださいといわれたのです。しかし、そのような立派な学者というのは、なかなかいないのではないでしょうか。立派なふりをしている学者は大勢いるでしょうけれども、昔から今日まで、真の学場というのは、なかなかいないのではないかと、私自身は思います。

(念仏よりほかに往生のみちをも存知し 42頁9行目~42頁14行目)

仏教人生大学
資料請求・お問い合わせ
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
Copyright © 仏教人生大学 All Rights Reserved.

ページトップへ