正信偈唱和
歎異抄
歎異抄講義(上)・本文
しかしながら、善いことをしたのに悪い結果になるときもある。この世の中には、悪いことをしても善い結果をもたらすこともある。そこで、業報思想ですべて通すわけにはいかないのが人生だということもあるのです。嘘は悪いけれども、全部の嘘が悪いかというと、そういうことにはならない。人を導くために、手だてとして本当でないうことをいうときがある。真に導くための手だて。方便ということがある。よくよく人生を見てみないといけないと思います。業報思想の考え方は、一部分は本当のことです。しかしながら、これが、具体的に職業のほうに適用されるとどうなるか。
たとえば、商業の場合、安く仕入れて高く売るというところで暮らしが成り立ちのです。「いくらかまけて」といわれて、「こっちも儲けがなくなりますけども、まけてあげましょう」ということはあるでしょう。儲けがないとはいいながら、本当は儲かっていることがあります。商いの場合は、そういうことがある。そういう場合、つまりは言葉で嘘をついたことになる。嘘の場合は地獄行きだという業報思想の鉄則からいけば、商いをする人は悪い原因を作っているのだから、地獄に行くに決まっているということになってしまう。これは職業によって人を卑しめるということになってしまう。
(罪悪も業報を感ずることあたわず 195頁13行目~196頁9行目)