正信偈唱和
歎異抄
歎異抄講義(上)・本文
商いをする人、田畑を作る人、海で漁をする人、山で猟をする人、こういう人たちはどうかということです。海で漁をするということは、魚を捕るということです。魚だって生きているものです。生きものを捕る、そして殺す。家族を養うために、漁をして魚を捕ってくる。そうすると、それは生きものを殺す仕事をしているのだから、殺生をしていることになる。生きものを殺すことは悪いことだとすると、海の漁師さん、山の猟師さん、みんな悪いことをしているのですから、みんな地獄行きになります。では、誰が善い報いを得られるのかというと、人を使って自分は何も手を汚さないものだけが、比較的悪いことをしていないということになる。そうすると、貴族だけが良いということになってしまう。そういうところに親鸞聖人は注意をされたのです。
この業報思想は、一面は心理だけれども、社会生活全体に適用しようとすると、貴族は助かる、庶民は助からないということになってしまう。そこのところが問題なのです。職業は、どういう職業であっても、自分で生まれたところを選ぶわけにはいきません。そして先祖代々の家業というものに具わった知恵というものがあるのです。親から子どもへと伝えられて、家業というのが成り立つのです。それで、子どもを養うためには、普通ではしてはいけないといわれるようなことも、しなければならない。そういうのが私たち庶民の暮らしではないでしょうか。親鸞聖人と一緒に暮らした人びとのことを想像していただければよいと思います。実際に大地の上で働いて、生産活動をして、漁をして生活をしていた人たちです。
(罪悪も業報を感ずることあたわず 196頁10行目~197頁5行目)