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6月14日(火)毎朝の法話とお経の会 (正信偈)

正信偈唱和


歎異抄


歎異抄・第二条
一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々
本日の歎異抄・第二条 講義文
この「よきひと」とは誰を指しますかというと、法然上人のことです。あとに、「たとい、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」とあります。
つまり最初から、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、法然上人のおおせをかぶりて、しんずるほかに別の子細なきなり」といってもいいはずなのに、どうしてそういわれなかったのか。法然上人を、自分を弁護する盾に使わないという態度なのです。「私はよくわかりませんけれども、とにかくあの偉い、立派な法然上人がいわれているのですから、私はお念仏しているのです」ということではないのです。師匠を盾にして自分を弁護することをしない。だから、「よきひとのおおせをかぶりて」というときに、「親鸞におきては」というこの言葉が大変大事です。「親鸞におきては」と、こういえる自分自身が、はっきりしているのです。

(よきひとのおおせ 49頁9行目~49頁16行目)

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