歎異抄講義(上)・本文※音声の不備により文章での法話更新とさせて頂きます。ご了承の程宜しくお願い致します。
優しい心もそうです。「枯れ木に花を咲かせましょう」で有名な花咲か爺さんの話もそうです。正直とか優しい心です。このような昔話がずっと伝えられてきたということは、やはりお話の中に大事な意味がこめられているからです。今の子どもたちは、このような昔の物語、昔話をちゃんと聞いているでしょうか。教訓くさく、「正直であれ」とか「約束を守れ」とか、そういう規則みたいな命令調ではなく、物語から教わっていくというのが大事なことです。
しかしながら、お念仏は、そういう正直とか優しさとか、もろもろの善およぶことがない。諸善もおよぶことがないということは、諸善以上ということです。諸善以上ということです。諸善以上の幸福をもたらすのだということです。諸善以上の幸福をもたらすのが、お念仏であるというのです。「諸善もおよぶことなきゆえに」という。諸善以上の救いをもたらすのが、念仏です。
(悪人を救うと誓われた本願 202頁2行目~200頁10行目)
本日の歎異抄・第二条 講義文を受けての法話 銀田 琢也 (江戸川本坊・僧侶)
「諸善もおよぶことなきゆえに」私達は諸善も及ばないほどに迷いを繰り返しているのです。
たとえ私達は善いことをしたとしても比較の心に惑わされていきます。自分が善いことをすれば必ず目につくのは、そうでない人です。「自分はこれだけ善いことをしているのに何であの人は?」と不平不満が出てきては悪口も絶え間なくなるのです。
善いことをしても自分本意絡みの心から解放されず、比較の心に自らが迷わされていく。だから「諸善もおよぶことなきゆえに」どこまでも心の弊害が絶え間ない私達の悲しき有り様を、すでに仏は無碍の心で包ましめんとして願いをかけていたのです。
だから聞法によって皆がその苦悩の問題を共有し合うことで救いとなるのです。諸善以上の願いのはたらきがかけられているのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏