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8月30日(火)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

歎異抄・第二条

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々

本日の歎異抄・第二条 講義文

釈尊が、ただ頭が良くて、体力があって、修行に耐える精神力が強くて、おかげで仏陀になったというわけではないのです。そこには、釈尊が生み出した人類の祈りというのがあるのでしょう。仏陀を生み出す背景が重要なのです。一人だけ立派な人が出るわけではないのです。その人が出るためには、人類の歴史の苦労があるのです。その苦労の、願いの大本が、弥陀の本願です。だから弥陀の本願は人種差別をしない、あるゆる差別をしない。なぜかというと、人類の根源の願いだからです。一切の衆生が、本当に助かっていく教えを明らかにしてくださいという願いが。ずっとあったのでしょう。それが、弥陀の本願力のよって、釈尊、善導、法然、親鸞というように教えが伝えらえてきました。それ故に「親鸞がもうすむね、またもって、むなしべからずそうろうか」と、いわれます。

(弥陀の本願まことにおわしまさば 62頁4行目~62頁6行目)

本日の講義文を通しての法話・銀田 琢也(江戸川本坊・僧侶)

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

釈尊が生み出した人類の祈りというのがある。ここまで人類の歴史は差別しては差別され、この日本でも貨幣経済社会となった時は人間観が乱れていきました。生産したものを近所の方に分けて共生するようなことではなく、貨幣経済社会となった以降は生産したものをどう売っていくか。等競争化して人間が人間を観るときも経済で人間をみるようになっていきました。搾取しては搾取されてということが繰り返されて今私たちがその歴史的悲鳴を背負ってこの地にいるのです。

その歴史的悲鳴をずっと真実の歎きとして頂いていかれたのが釈尊なのでしょう。釈尊はその聞こえるべき歎きを阿弥陀仏の願いをして頂いていかれ、そのその願いが聞こえるべきものとして私たちは願いがかけられている。ですから『歎異抄』の「歎」は根源的な悲鳴です。私たちは何を歴史として背負って生きているのか。その根源的悲鳴をずっと人類の迷いの歴史に貫いていたことをあらわすのが『歎異抄』です。

根源的悲鳴が歎きとなって願いとなって私たち一人ひとりにかけられていた。不思議な書物が正しく『歎異抄』であります。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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