正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第八条
一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々
本日の歎異抄・第八条 講義文
阿弥陀仏がもとで、私たちはお念仏ができるのです。男も女も、金持ちも貧しい人も、みんな平等です。お念仏の心は、そのことを示しています。阿弥陀仏がもとで、お念仏ができるのだから、誰が称えてもお念仏の値打ちは絶対最高のお念仏なのです。悲しいときにお念仏を称えても、嬉しいときにお念仏を称えても、お念仏の出処は阿弥陀仏ですから、値打ちの違いはありません。これは、如来の御もよおしによるお念仏だということによって知らされることです。
逆に私たちは、いつも差別の心を持って生きている。わがまま勝手な心を持っている。そういう如来の心とまったく反対の心で生きているということを知らされることが、大事なことです。
(わがはからいにてつくる行ずるにあらぜれば 218頁2行目~218頁8行目)