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Home トップページ  >  今日の法話  >  11月21日(月)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

11月21日(月)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

正信偈唱和


歎異抄


歎異抄・第三条

一 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。

本日の歎異抄・第三条 講義文

「煩悩具足のわれら」の「われら」とは、自分が煩悩具足の凡夫であるということをいっておられるのです。聖徳太子以来、仏教の高僧といわれるような人たちは数多くおられるわけです。聖徳太子以来、仏教の高僧といわれるような人たちは数多くおられたでしょうけれども、自分自身のことを「煩悩具足のものです」というように、はっきりといわれた人は、そうはおられません。

たとえば、禅宗のほうでは、栄西禅師とか道元禅師というように、スパッといわれます。達磨大師のところに、「私はこの悩みが消えません」といって相談に行った人が慧可という人がいます。そのときに達磨大師は、「それなら、その悩みを出してみろ」といわれたというのです。これはつまり、「悩みと思っているその心をひっくり返すのだ」ということを教えたのでしょう。けれども、言葉が足りないのです。そして、お互いに精神の極限の澄みきった状態のところで話し合いをしていくわけです。そういう点は、道元禅師や栄西禅師から「煩悩具足のわれら」という言葉は出てません。
(煩悩具足のわれら 84頁10行目~85頁2行目)

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