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Home トップページ  >  今日の法話  >  11月22日(火)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

11月22日(火)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)

正信偈唱和


歎異抄


歎異抄・第三条

一 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。

本日の歎異抄・第三条 講義文

親鸞聖人は、「煩悩具足のわれら」といわれた人です。煩悩は、煩い、悩みです。除夜の鐘の百八つは、煩悩の数だといわれます。煩悩を除くために、百八つの鐘を撞くのだというようにいわれてきたのです。しかし、浄土真宗の場合は、煩悩を除くというよりも、現在ただ今ある煩悩のしぶとさや深さを自覚する、かみしめるというような意味があるだろうと思います。ただし、親鸞聖人の場合は「一つ、二つ、三つ、四つ、ああ三十六ある」というような数え方はしません。数えきれないほどの煩悩を持って生きている。それで、親鸞聖人は、数を数えるよりも、現在の煩悩はどう自分自分にはたらいているか、ということを「煩を身をわずらわす、悩はこころをなやます」といわれるのです。煩悩というのは、「わずらい、なやみ」というように、その字のあらわす事実のとおりに説いてくださっています。

(煩悩具足のわれら 84頁3行目~85頁11行目)

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