正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第八条
一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々
本日の歎異抄・第八条 講義文
「たとえば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するごとし」とあります。阿伽陀薬は、インド伝説の最高級の最高級の薬のことです。これは一切の毒を滅するといわれている想像上の薬なのですが、阿伽陀薬の薬のように一切の毒を滅するのが、まことの信心です。「如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり」とあります。智愚の毒というのは、人間が持っているはからいの毒のことです。はからいの毒を滅するというのが、如来誓願の薬です。この如来の誓願のはたらきというのが、お念仏です。ですから、人間のはからいの毒、賢いといっても、あるいは愚かであるといっても、はからいの毒である。そういう毒を滅してくださる。
衆生の一番大きな病気は、無明の心から生じる。では、この病気を起こすは心というのは何かというと、自力のはからいです。この自力のはからいを治していくというのが、如来誓願の薬、つまり念仏です。念仏の信心が病気を治すのです。これは、如来の誓願のはたらきによっていただくのです。
(大信海の釈 221頁3行目~221頁11行目)