【本文】 『歎異抄』- 第七条 -
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
【解説】 法蔵館『歎異抄講義』上巻・三明智彰著
この第七条は、念仏がどのような生き方を実現するのかということが明示されています。
『真宗聖典』の最後のほうに、
「念仏者は」の「は」その上の「者」を「は」とよむということを示すために捨て仮名が本文中にまぎれこんだものか
という註があります。これはどういうことかといいますと、この「者」という字を「は」と読むその仮名が、下に移ってしまって、本文中に紛れ込んできたのではないかということです。「念仏者は」とありますが、「念仏は」という意味であるというのが、この『真宗聖典』の解説です。「者」という字は、何々なるものはというように、定義を示すときの漢文の文体なのです。たとえば、『御文』(四帖目第八通)に善導大師の『観経疏』の六字釈を引いて、
すでに善導釈していわく、「言南無者 即是帰命」
とあります。「言南無者」の「者」は、「は」というのです。これは語を強調し、定義づけるということで、南無とはいうようになります。
(念仏者はの二つの解釈 173頁4行目~174頁3行目)