歎異抄
歎異抄・第六条
一 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の 候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず 候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はば こそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し 候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。つ くべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのある をも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざる ものなりなんどといふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信 心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすがへすも あるべからざることなり。自然のことわりにあひかなはば、仏恩を もしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。
本日の歎異抄・第六条 講義文
ヨーロッパの場合は、可愛がって自分の悲しさや寂しさを紛らしていくようなものとしての愛玩動物、ペットという考え方を動物に対してするわけです。だから猫や犬を可愛がる。ヨーロッパの考え方ですと、牛はどうかというと、それは愛玩動物にはなりません。牛は、食べられるために神さまが創ってくださったのだから、牛を囲って食べるわけです。
(自然の中にいる人間 169頁8行目~169頁11行目)