歎異抄
歎異抄・第七条
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
本日の歎異抄・第七条 講義文
これは人間の関係の中でもそうです。親が子を教えるといいますが、逆に、子によって親が教えられるということがある。これが本当の親になったということでしょう。先生と生徒も同じです。生徒から教えられて初めて本当の先生になるということでしょう。失敗があっても、失敗は成功の母なりというように、失敗はなにも悪いことではありません。失敗してこそ、正しい智慧が育つわけです。失敗することによって、今度はこのようにしようとか、失敗した人の気持ちがよくわかるようになるというように、柔軟な心が育まれてくるわけです。失敗から学ぶことがたくさんあるのだということを、子どものころから教えておくことが必要ではないかと思います。柔軟であるから妨げがない。柔軟心によって状況に処していくことが大事なことなのです。このような教えが「無碍の一道」ということです。
(金剛心と柔軟心 182頁6行目~182頁13行目)