歎異抄
歎異抄・第九条
一 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々
本日の歎異抄・第九条 講義文
質問をしたのは唯円、そして問いに答えておられるのは親鸞聖人です。親鸞聖人と唯円は、年齢差が五十歳くらいあったようです。親鸞聖人は、九十歳で亡くなっています。そのときに唯円はまだ四十歳前後です。親鸞聖人が亡くなられてから、二十年、三十年のあいだに、親鸞聖人の弟子たちがどんどん亡くなっていく。最後の生き残りのようになった人が、唯円だったのです。親鸞聖人の直弟子の生き残り。それで、親鸞聖人の教えを直接受けたものとして、親鸞聖人はこういう人だったということを残そうとされた。いろいろと間違った信心が説かれるようになってしまった現状を歎いて、それで『歎異抄』は書かれたのです。「先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思う」というところから、親鸞聖人が直に説かれた真の信心を明らかにするというのが、『歎異抄』が著された意図なのです。
(念仏もうしそうらえども 233頁2行目~233頁9行目)