歎異抄
歎異抄・第七条
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
本日の歎異抄・第七条 講義文
五戒は大事な教えなのですけれども、これでもって社会全体に裁きをつけるわけにはいかないということがある。五戒を破ることが罪悪、罪悪の報いは苦しみだと、それで当たり前だといっているような冷たい仏教は、本当の仏教ではない。どれほど罪悪を犯してしまっても、それが悪い行いであっても、それだから助からないということにはならないというのが阿弥陀仏の本願で、それこそが本当の仏教だといわれるのです。ここのところが、なかなか難しいかもしれませんが、行いの善し悪しを問わない。たとえ嘘をつく商売をしていても、生きものを殺すだけでなく、人を殺すということまでやったとしても、その心のつらさを阿弥陀仏が知っておられるからこそ本願を起こされたのです。だから、必ず救う、念仏をもってすべての衆生を救うという誓いを立てられたのだというのが、本願念仏の由来なのです。
(悪人を救うと誓われた本願 198頁2行目~198頁9行目)