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9月13日(日)毎朝のお経と法話の会

【本文】『歎異抄』 -第七条-
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々

【解説】 法蔵館『歎異抄講義』上巻・三明智彰著
たとえば、死んだ人の魂の問題、霊の問題です。家の中がもめているとか、家族が次々に病気になってしまったというときに、これは良くないから見てもらおうと思って行くと、「霊が祟ってますね」といわれたりするのです。実際には、亡くなった人が迷っているわけではない。亡くなった人が迷っていると思う気持ちが迷っている。それが本当のところだと思います。浄土真宗の教えでは、人が命終わってから迷うということはいいません。それなのに、亡くなった人が迷っているように見えるとか、霊が自分の人生を妨げているように思うのは、そう思う心の方が迷っているのだということなのです。亡くなった人が、どんなかたちで亡くなった人が、どんなかたちで亡くなったとしても、それは私にいのちがけで教えてくださったということです。「明日ありとおもふ心のあだ桜」である。「明日に紅顔、夕べに白骨」の身を生きているのだと教えてくださったのです。だから、仏さまです。亡くなった人が仏さまで、自分のほうが迷っているということです。

(降魔 190頁7行目~190頁16行目)

 

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