曽我量深先生の言葉
欲生心とは何ぞや。欲生心とは衆生として本当に自分自身に目覚めることである。欲生心とは衆生が衆生として本当に自覚することである。自己の本当の願いに目覚めることである。衆生とは何ぞや、衆生というものはつまり個々の心である。精神が精神のまま現れてないで精神が物質化したものが衆生というものである。
精神が物質化するとは何ぞや。心というものは形の無いところの形而上純真なる自由・平等の理念である。形而上なる形の無いところの純真なる心が、こういう不平等、不自由な形にある肉体というものを取って、即ち頭あり胴あり手足あり外に皮ありその中に血が流れている。そうしていろいろさまざまの苦しみ悩みの尽きざるところのわれわれである。
(『曽我量深選集』五巻「本願の佛地」二五〇-二五一頁)