正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄講義(上)・本文
さらに「罪悪も業報を感ずることあたわず」と、いわれます。「罪悪も業報を感ずることあたわず」の「感ずる」というのは、結果をもたらすということです。「罪悪も業報を感ずることあたわず」の「業」は行いです。行いが、罪悪の行いの場合、悪い報い、苦しい報いが来るというのが普通の考え方です。善因楽果、悪因苦果という鉄則がある。業の報いがあるという考え方を、業報思想といいます。
業報思想の具体的な事柄は、善いことをすれば、嘘をついたということで苦しめられる。嘘は悪いことだから、悪因だから、苦しみの結果がもたらされるということです。善いことをすれば、今度はちゃんと自分に善い報い、「ああよかった」といえる報いがある。日常生活において、やはりそういうことがあると思います。人を馬鹿にすれば、自分も馬鹿にされる。人を褒めれば、自分が褒められるということもある。
(罪悪も業報を感ずることあたわず 195頁4行目~195頁12行目)